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第6話 ここから出る

Penulis: marimo
last update Tanggal publikasi: 2026-06-06 23:12:15

「顔も、よく見たら大したことないし」

私は俯いて、黙っていた。

食卓へ落ちる照明の光が、やけに白く感じる。

まるで病院の無機質な灯りみたいだった。

温かいはずの食卓なのに、そこには何の温もりもない。

目の前には、自分が作った料理。

少しでも美味しく食べてもらいたくて、材料の少ない冷蔵庫の中で工夫した。

以前なら俊哉は「うまい」と言ってくれた。

それだけで嬉しかった。

でも今は違う。

その料理は、二人の悪意を受け止めるためだけに並んでいるようだった。

「そういう顔するの、やめて。なんか……私が悪いみたいじゃない」

玲奈の声が鋭くなる。

その口元には笑みが浮かんでいるのに、目だけは冷たかった。

責められているのは自分なのに、なぜか加害者扱いされる。

そんな理不尽さに、胸の奥が重く沈む。

「自分が選ばれなかっただけなのに」

玲奈はワイングラスを揺らしながら言った。

その仕草は勝者の余裕そのものだった。

「努力もしなかったくせに」

努力――

その言葉が、心の奥で小さく反発した。

私は、何もしてこなかったわけじゃない。

俊哉が仕事で疲れて帰れば支えた。

帰宅が深夜になれば、温かい食事を用意して待っていた。

眠れない夜は、隣で背中をさすった。

風邪を引けば看病した。

仕事で失敗した日には、何も聞かずに寄り添った。

生活費を抑えるために節約もした。

自分の服を買うのを我慢しても、俊哉のためならと思っていた。

美容院へ行く回数も減らした。

化粧品も安いものに変えた。

そうして浮いたお金で、二人の生活を守ろうとしてきた。

ずっと、この人のために生きてきた。

俊哉の幸せが、自分の幸せだと思っていた。

ただ、それを評価する人が、ここにはいないだけだ。

どれだけ尽くしても。

どれだけ愛しても。

価値がないと決めつけられれば、それで終わりだった。

私は何も言わなかった。

言い返したところで、また傷つくだけだと知っていたから。

黙っていることが、今の私にできる唯一の防御だった。

食後。

私は黙って洗い物をしていた。

蛇口から流れる水は冷たい。

スポンジを握る手も冷え切っていた。

食器が触れ合う小さな音だけが、静かなキッチンに響く。

背後では二人の笑い声。

楽しそうな声。

その声を聞くたびに胸が痛んだ。

けれど、表情には出さない。

出したところで喜ばせるだけだから。

水の冷たさだけが現実だった。

そのとき、背後から声がする。

「なあ、ひかる」

俊哉だった。

一瞬だけ肩が強張る。

振り向くこともできず、私は洗い物を続けた。

「お前さ、この家から出る気、ある?」

一瞬、言葉に詰まる。

出ていきたい。

そんなこと、何度も考えた。

夜中に一人で泣きながら考えたこともある。

荷物をまとめる想像をしたこともある。

もう終わりにしたいと思ったこともある。

でも。

現実は残酷だった。

頼れる家族はいない。

貯金もほとんどない。

仕事もない。

帰る場所もない。

だから――。

「……行くところが、ないわ」

正直に言うと、彼は鼻で笑った。

「だろうな。だから大人しくしてろ。その代わり、俺たちの邪魔だけはするな」

その言葉は、まるで最後通告だった。

お前は必要ない。

ただそこにいろ。

そう言われた気がした。

俊哉はそれ以上何も言わなかった。

ドアが閉まる音。

そのあとすぐ、寝室の向こうから笑い声が聞こえた。

玲奈の甘えた声。

俊哉の笑う声。

幸せそうな二人の気配。

それが薄い壁を簡単に突き抜けてくる。

私は、シンクに手をついた。

指先が震えている。

呼吸が浅くなる。

胸の奥が苦しい。

――悔しい。

悔しいのに、涙は出なかった。

泣き続けた日々は、もう終わったのかもしれない。

泣いても何も変わらないことを、私は知ってしまった。

その代わり、胸の奥に、熱が残った。

小さくて、弱くて。

今にも消えてしまいそうな火種。

けれど確かに消えていない熱。

怒りなのか。

意地なのか。

それとも希望なのか。

自分でも分からない。

ただ一つだけ、はっきりしていることがあった。

このまま、ここで終わる女じゃない。

今は、何も持っていなくても。

帰る場所も。

お金も。

味方も。

何一つなくても。

必ず。

必ず、ここから抜け出す。

誰にも期待しない。

誰にも救いを求めない。

自分の足で立つ。

自分の力で生きる。

そう決めた瞬間、胸の奥の火は少しだけ大きくなった気がした。

その日。

初めて、「出ていく日」を具体的に思い描いた。

いつかではない。

遠い未来でもない。

現実として。

自分の人生を取り戻す日のことを。

それが、現実になることを、

まだ誰も知らない。

俊哉も。

玲奈も。

そして――

今の自分自身でさえ、まだ知らなかった。

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